このクエーカーというのは、歴史的平和協会の一つとして認められている。そのため、世界各地にて集会が見受けられる。私はこの宗教団体については知らなかったが、そこそこ有名なものであることがうかがえる。イングランドにて始まり、クエーカーの教義としては、主にはアメリカ合衆国、ケニア、ボリビアといった国々に広まっていった。友会には、全信者に向けた経典や正式な教義箇条のようなものは存在しない。もっとわかりやすく言えば、この宗教団体専用の本はない。そして、信者間にある一定範囲の教義的な合意を見受けることができる。イギリスのクエーカーはというと、イギリスでは、友会の歴史を通じて、高度な組織的な団結力を見ることができる。というのも、各地の友会の集会というのは、準備集会と呼ばれている。これは、数か所にて月会が行われており、その月会にて月例の事務会が行われている。そして、全国の月会の代表者が集い、年に1回年回が開催される。
ここからは、アメリカ合衆国のクエーカーについてみていこう。アメリカ合衆国のクエーカーは、イギリスよりも細分化されていて、非常に複雑になっている。しかし、共通点もかなり多いのも特徴である。礼拝にやり方には2パターン存在していて、礼拝式次第のある集会と、それがない集会の2つがある。この次第がない集会では、最小単位が集会、あるいは月会と呼ばれている。これはいわゆる日曜日の礼拝にあたり、これは多くの人が知っているのではないだろうか。私も過去にアメリカに移住していたことがあったが、日曜日になると教会に行く人の姿がよくみられた。私は特にキリシタンではなかったので、礼拝にはいかなかったが。ここで言う集会は、礼拝に決められた礼拝のプログラムが存在しない。そこの場にいる誰かが話し始めるまで沈黙を保つことが暗黙のルールとなっている。また、聖職者はいない。しかし、様々な委員会や役職が、他宗教では聖職者が行うような重要な役割を担うことが可能となっている。
聖職者ではないが、こういった役職を持つ人々のことを、牧会監督会、牧会評議会、集会初期、長老、重心会友と呼ばれることが多いそうだ。しかし、誰でもこの役職を担当することができるわけでなく、例えば書記は聖職者に相当する管理業務をこなすことが可能な人物に任せられる。一方、次第のある会派というのは、いわゆる友会徒教会と呼ばれることが多い。ここでの牧師の仕事内容というと、礼拝の侵攻、讃美歌、礼拝、説教、牧会カウンセリングがある。初期の方のクエーカーは、自らを背教の時代の後の真のキリスト教会を復興させるものと認識していたそうだ。そのため、この時期においてに限り、自分を単純に聖者、または光の子と呼んでいたそうだ。クエーカーの起源についてたどっていこう。まず、クエーカーの活動というのは、1650年代までさかのぼることになる。このころ、清教徒革命を経て成立したイングランド共和国にてクエーカーの始まりとされている。
創始者はジョージ・フォックスとされている。1647年、フォックスが布教を開始した。そして彼は徐々に信者を増やしていくようになった。しかし、信者を増やしたクエーカーは、周りからは異端者扱いを受け、弾圧されることもあったそうだ。例えば、うちなる光の考えこそがすべてであると言ったりして逮捕されることもあり、またピューリタンの礼拝を妨害したりなど、彼の信者が逮捕や投獄されることも少なくなかった。こういったことの背景には、オリバー・クロムウェルが考えていた宗教政策に対して、クエーカーというものは彼の理想とするものと相反していたことが考えられる。クロムウェルは、独立派、長老派、バプテストを中心とした国家教会制度の実現を理想としていた。クロムウェル側としては、プロテスタントなどを徐々に統合していく中で、クエーカーなどの他の宗教に対して、表現の自由を認め、政府に対抗しないという条件の下でその存在を認めていた。
しかし、クエーカー側としては、クロムウェルのこの制限された自由を認めなかった。そのため、この両者は長きにわたって衝突を繰り返していた。しかし、ここで不思議なことがあった。クエーカーたちはクロムウェルのやり方に対しては不満を抱いていたが、クロムウェル本人に対しては好印象を抱いていた、というのだ。フォックスを含め、クロムウェルと会った人々は信仰問題においては一歩も譲らない姿勢と、相手の話をよく聞く、寛容な姿勢であったと記録に残っている。しかし、クエーカーの活動が徐々に大規模化していくと、それに反対するものから迫害を受けるようになる。そして、クエーカーはイギリスにおいてだけでなく、様々な地域にて逮捕、投獄されることになった。ここで、クエーカーの信仰というのは神秘主義であると良く言われる。しかし、以下に挙げる2つの理由により、神秘主義とは異なっていることが分かる。
まず1つとして、クエーカーの神秘論というのは、もとより個人より集団を対象にしているという点がある。プログラムが設けられていない集会では、集団神秘主義が具現化する場所、すなわちそこに参加している全員が聖霊の声に耳を傾ける場であることを意味している。2つめとして、クエーカーの神秘主義は、直接外部に現れることを強調している点がある。そもそも、宗教というのは、現実の世界から切り離されて考えられがちである。しかし、クエーカーというのは、この世から逃避する、のではなく、クエーカーの神秘論は個人の神秘主義をこの世における、現実の行動に変えることを目的にしている。ここが他の宗教と大きく違うところだと私は思う。ここからは、聖書について書いていく。初期のクエーカーにおいては、キリストというのは神の言葉であると信じていた。しかし、キリストは聖書を否定する方法で導くことは決してないだろうと考えていた。
すなわち、これはのちの話ではあるが、聖書が教えてくると思われていることと、友会が聖霊にどのように導かれていると信じるかという論争が起こるようになっていく。一方、別の主会徒では、一部はリベラル・プロテスタンティズムのような運動がおこり、事実上、聖書に書かれている内容とは相反するかのように感じられるかもしれないが、それは実は誤りである、と考えられるようになっていった。つまりどういうことかというと、聖書と相反する方法によって多くの人間を導くことは可能である、ということに気づいてしまったのでる。しかし、そうなると、どういう問題が発生するか考えてみよう。聖書の言葉というのが、方向を示すものであると考えられ、聖書の言葉が絶対的なものとなっていった。つまり、聖書を書く人によって、いくらでも自由に書くことができてしまうことになる。依然として他の友会徒は聖書を完全に否定していた。そのため、多くの容認する友会徒に、キリスト教徒でない友会徒が参入するようになってしまった。
もう一度言っておこう。クエーカーというのは、信仰箇条のない宗教である。初期の友会徒は、神聖が個人の生活のすべてに現れると考えていた。つまり、どういうことかというと、どんな特別な儀式も聖職式も行う必要がないと説いた。クエーカーの生活について注目してみよう。クエーカーの生活では、質素な生活を実践するように説かれてきている。これはこの宗教が始まった当初から言われていることである。この質素な生活が、クエーカーの思想のベースとなっている考え方である。また、クエーカーでは、華美を求める虚栄と優越、最新の衣装を着ようとする迎合、流行を追い求め装飾品に金を使う浪費を避けること、といった3つの関心事というものを掲げていた。そして、彼らは無地の服を着ていたらしい。また、ある時代においては、この質素を実現することにより、簡単に友会徒を見極めることができたそうだ。
また、初期のクエーカーの思想についても少し触れていこう。これは誰もが抱いている思想ではあると思うが、基本的に人間は争いをするのは嫌という人が大半であると思う。私もそのうちの1人である。もしかしたら争いこそがすべてという人もいるかもしれないが、それは、今は気にしないでおこう。クエーカーもどうやら同じであるみたいだ。彼らも、当時としては今よりも争いが絶えなかった世の中であったが、当時としては驚くべき男女平等などを信じるなど、非常に強力な平和主義がそこにはあった。これはかなりすごいことである。いまだに男女平等は完全になくなったわけではないし、当時としてはそもそも男女平等という言葉すらあったかも怪しいところである。その中で、このような平和主義を掲げられたのは、おそらく周りに人からすれば信じられないことではなかっただろうか。クエーカーでは、男女は礼拝で語る上で、対等に扱われていた。
さらに、初期の友会徒は、人間の扱い方が、イエスの言葉によるところと考えていた。それは言われてみればそうかもしれない。イエスの言葉は多くの人が信じている。誰だかわからない人にあれこれ言われるくらいなら、イエスの言葉に従うという人も多いのではないだろうか。私だったらそうするかもしれない。得体のしれない人の言うことなどそう簡単に聞けるものではないと私は考える。そして、他人と正直に接することこそが、嘘を吐かないことよりもよっぽど意味のあるものであると考えていた。人と人との付き合いなので、どうしても時には嘘をついてしまうことも多いかと思う。確かに嘘はよくないが、中にはその人を想って言う嘘もあるのではないだろうか。いわゆる、思いやりの嘘である。状況によっては本当のことを言わない方が良いこともある。それは多くの人が感じたことがあるのではないだろうか。しかし、ここではそうではなく、正直に接することこそが大切である、と説いている。
当時のクエーカーは、無地の服装と独特なしゃべり方を実践していた。周りからはかなりの変人扱いをされていたようだ。しかし、現代のクエーカーというと、たいていのケースで、服装と話し方は他の周りの人と変わりないという。つまり、一見クエーカーであるかどうかはわからないということになる。あくまで宗教は考え方なので、それが目に見える形として表現する必要はないという結論にいたったのだろうか。クエーカーについてある程度分かったところで、再び話をハーボーンに戻そう。ハーボーンという地名のつづりというのは、何世紀にもわたり、様々な表記方法が存在している。言葉も時代とともに少しずつ変わっていくと思うので、それが原因ではないだろうか。そして、地名の起源については、様々な諸説が存在している。地区内に存在しているセント・メアリ教会は、ここハーボーンで初めて建設されたという、カトリック教会である。
カトリック教会というのは、ローマ教皇を中心として、全世界になんと約12億人以上の信徒を有する、キリスト教の教派の1つである。カトリック教会と、名前だけでも知らないという人はまずいないのではないだろうか。逆に知らなければ、それはそれで教養が足りていないのでは、と思ってしまう。カトリック教会自身により、カトリックという言葉の定義としては、ペトロの後継者と使徒の後継者たちによって治められる、唯一、聖、カトリック、使徒的な教会、という表現にもみられるように、ここでもよく表現されていることが見けられる。ペトロというのは、それまでカトリックとして存在してきたものに、新たな信念をもたせるといった意味で使われており、人と人は目には見えない何かで常に結ばれており、常に正直に生きなければならない、という教えの元に存在している。そのため、この宗教に入ったものは、正直にまっすぐに生きることを要求され、嘘をつくことは決して許されることではない。
ある人が言った。私は小さいころから大人になる今に至る間で、様々な経験をしてきた。それは決して普通の人が経験できることではない。私だからこそ経験できたものである、と。1054年の大シスマによる東西教会が分裂して以降、教会としてはかなり怪しい立場になってしまった。というのも、教会の存在危機となってしまったのだ。また、狭義のカトリック教会には、ローマ教皇を中心としつつも、伝統的な独自の東方典礼を持っていた。ここから、歴史について少し触れてみよう。イエスの復古信仰の確立、そしてナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立、また主であるイエスキリスト信仰を確立されるなどして、多くの人間を救うことを目的にこの宗教は発足した。カトリック教会が、他のキリスト教諸教派と比べた時の主な特徴をこれからあげていこう。まず、ローマ教皇と信徒の位置づけに大きな特徴がひそんでいる。そもそも、ローマ教皇とは何か、説明しよう。